富士と桜



 第2次世界大戦も昭和20年になると、連合軍の攻撃は一層激しくなり、郵便切手製造 も、印刷資材は欠乏し、印刷局は戦火に壊滅して、不可能かと思われました。やむなく、 民間会社の共同印刷・東京証券・凸版印刷・帝国印刷等に委託して、切手製造を行ったり しました。用紙や刷り色を揃えることは出来ず、告示しても発売日が一致しなかったりし たのです。目打ちの穴は無く、裏に糊もついていない切手もありました。「第二次昭和切 手」と「第三次昭和切手」に多く見られます。それでも、「透かし」は入っていました。 白紙や粗紙は、正規の昭和透かし。灰白紙には、昭和透かしよりも間隔の狭い透かしのも のがあり、「狭透かし」と言って別扱いしました。他にも違いがあるものがありますが、 前述の「五重の塔」「飛行機(飛燕)」の説明もありますのでここでは省略することにし ます。




Copyright(C) 1995-2062 栗の樹研究室 栗田耕二