手彫り切手と電胎盤切手



 さて、国の郵便事業の最初は、冒頭に書いてあるように明治4年4月20日です。この 日から実施ですから、郵便切手も事前に長期間かかって準備されていたのです。コレクタ ーの間では「手彫切手」と呼ばれている、1シートに40面の龍の図柄を手彫りし、それ を印刷して切手を作りました。暗い茶色の四十八文切手・青色の百文切手・朱色の二百文 切手・青緑色の五百文切手の4種類です。明治5年になると、貨幣制度改正に伴って、半 銭・壱銭・弐銭・五銭の切手に改まりました。外国との関係も生まれて、2SEN・5S ENのように表記されるようにもなりました。日本切手の変遷を調べていくと、日本の歴 史が分かるほどです。明治7年になると、いままで切手の真ん中に郵便料金があったのが 、郵便切手の文字が真ん中に印刷されるようになりました。切手の図柄も、龍の手彫りか らから桜の手彫りに変わりました。この二種類の「手彫切手」は、当時の貨幣の紙幣に描 かれていた図柄と共通のものでした。これを彫った人は、当時の銅版師名人松田玄々堂で す。

 郵便事業が国内に行き渡ると、利用者も増大し、切手も大量に用意しなければならなく なりました。そこでイタリア人によって、胎電版式の電気によって版をたくさん作る機 械の導入と生産が行われ、大量生産されるようになりました。今までの手彫りと異なり、 証票的な味の無い切手の増産になっていったのです。それはそれとして、その後それぞれ の時代の影響を大きく受けながら、現代の郵便切手になって来たのです。



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